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「バイクメ~ン」望月峯太郎

2016.05.02

1989年から週間ヤングマガジンに掲載されたマンガ「バイクメ~ン」。

当時高校生だった私は、このマンガで衝撃を受け人生が決まってしまったといっても過言ではない。

ストーリーはいたってシンプル。

50年代のイギリスでのロッカーズと呼ばれる不良集団のリーダー格二人。

ボニーとドトキン。

抗争の果てに命を落とした二人はロックンロールの神により、現代の日本にタイムトリップしバイクと一体化したバイクメ~ンとして蘇り、日本の若者を洗脳し巻き込みながら抗争を続けるというもの。

このマンガが凄いのが、バイク、洋服、アクセサリー、小物、50年代当時の風景の描写、そして50年代のエルヴィス・プレスリーへの情熱である。

そんなディープでマニアックな題材をギャグと個性的なキャラクターを交えながらサラリと書き上げた作者の望月峯太郎氏のセンスは尋常ではない。

ロックンロールは音楽のジャンルではなく、生き方なんだと教えてもらった自分にとっては聖書といっても良いほどのマンガであった。

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ライフスタイルの全てが50’s、ロックンロールにはあった。

ヘアスタイル、洋服、車、バイク、インテリア、音楽、遊び方。

「バイクメ~ン」を読んで今まで漠然としていた自分の価値観が一本の線でつながり物凄く気持ち良くなったのを覚えている。

今もふと「バイクメ~ン」を読んでしまうときがある。

何度読んでも新鮮なトキメキを与えてくれるマンガだ。

大人になりすぎてしまった自分に「バイクメ~ン」は今でもシンプルなロックンロールのかっこよさを思い出させてくれる。

おススメの作品で、映画化も切望してやまない作品である。

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1956年のレコードジャケットから【Florida Shirt】

2016.04.11

画像を見てお分かりの通り、レース素材で透けているシャツです。

本来は女性ものに多く使われる素材ですが男性のシャツでも透けたナイロン素材やレース素材も1950年代辺りから存在する様です。

エルヴィスのレコードジャケットで着用しているモデルを参考に作製しました。

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1956年に発売されたエルヴィス・プレスリーの1stアルバムのLPレコードジャケット。

ザ・クラッシュ/ロンドン・コーリングでもデザインを引用している事でも有名です。

この写真は元々1955年フロリダ州タンパで行われたライブ写真をそのまま使用しているので臨場感があります。

50年代半ばのレコードジャケットは本人の顔のアップ、ポートレイト的なものが多いのですが、RCAビクターも最初はエルヴィスの売り出し方に関しては迷いもあった様でこのアルバムを発売する時点で既にギターを持って歌う宣伝用写真を2度撮影しているにも関わらず、結局前年のサンレコード在籍中のライブ写真を選んでいます。

このファーストアルバムが爆発的に売れたお陰でRCAの幹部も安心したのか?これ以降のエルヴィスのLPジャケットは顔のアップばかりでどれも似た様なものなってしまったのは残念です。

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これはレコードジャケットと同時期1955年、素肌にレースシャツ着用。

 

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こうしてジャケット類と合わせると透ける部分は殆ど隠れてしまいます。

 

 

 

LOT.766 Florida Shirt

 

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LOT.766 Florida Shirt

Price…13,800yen(no tax)
Size…36, 38, 40, 42
Color…Black, Wine

 

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最も偉大なドラマー TOP100 D.J.フォンタナ

2016.04.09

Heartbreak Hotelのゴールド・ディスクを眺める4人…
左からビル・ブラック、D.J.フォンタナ、スコッティ・ムーア、エルヴィス・プレスリー。

米ローリングストーン誌が発表した「最も偉大なドラマー TOP100」
今年はエルヴィス・プレスリーのバックを1955年の途中からレギュラーで努めたD.J. Fontanaがいきなり13位という結果になり驚いています。
ちょっと前まで100位にも入っていなかったのですが、これも過去の音楽がネット上で手軽に聴ける様な環境変化のお陰なのか?逆に自分が10代の時に常に人気投票1位だったCozy Powellが50位とは時代の流れを感じさせます。
そもそも「最も偉大なドラマー TOP100」ですから上手いドラマーTOP100では無いのですよね!
ですからD.J. Fontanaが再評価されていく最近のアメリカの状況は素晴らしいと思います。
彼は上手いドラマーというより印象的なフレーズをロックンロールの名曲に残した方です。
元々彼はテキサスで行われていたラジオ番組を中心としたカントリー&ウエスタンのイベント、ルイジアナ・ヘイライドの専属ドラマーです。
1956年にエルヴィスのバックバンドでTV番組(ミルトンバールショウ)に出演した際は、JAZZドラムの名手バディ・リッチ、ハリー・ジェームス楽団と同じステージだった為、自分達の技術力の無さに恥ずかしい思いをしたと後に語っています。
しかしエルヴィスのバックを仮にバディ・リッチの様な名ドラマーが努めたとしたらHound DogやJailhouse Rockなどのシンプルな機関銃ドラムは生まれなかった事でしょう。
1950年代の上手いドラマーは音の強弱が絶妙で当時のロックンロール曲でもジーン・クルーパを彷彿させるリムショットの音を混ぜたスネア音が甲高いフレーズが出てきたりします。

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しかしD.J. Fontanaのスネア音はあまり強弱は無く悪くいえばドタドタした重い感じ、でもそれが逆に良く、パワフルなロックンロール・ドラムはエルヴィスと相性が良いのです。
1950年代、エルヴィス・ヴォーカルの強弱、リズム感は通常シャッフルのリズムとして捉える曲のフレーズでも8ビート、または16ビートとも云えるリズムを感覚的に盛り込み混ぜている上に声質も使い分けています。

本当に掴みどころの無い印象です。
この完全コピーが難しいエルヴィスのリズム感に対してシンプルに打っていった彼のドラムこそエルヴィスの歌を特定の型にはめ込まずに最大限に生かしていたと考えるのです。
彼が技巧派ドラマーでは無く空気の読めるドラマーだったのはルイジアナ・ヘイライドで色々なタイプのヴォーカルのバックを努めたからかも知れないですね。

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エルヴィスのネクタイを後に廻り締めてあげるD.J.フォンタナ。

このカットだと判り難いですが彼のジャケットはシャークスキンタイプのCarmel
当時のステージ以外の写真を見るとファッションセンスもエルヴィスに近い洒落物です。

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エルヴィスのエド・サリバン・ショウ出演【Waist Up Only】

2016.03.24

エルヴィスがエド・サリバン・ショウにTV出演したのは合計3回
後に徴兵されるので結果、50年代最後のTV出演となってしまった57年1月6日は上半身しか画面に映っていない話は有名ですが、エルヴィス自身が考えたであろう演出でこの最後のTV出演は意外な効果を出しています。
上半身しか映らないという事は必然的に顔のアップが多くなりますが、過去にTV出演した映像に比べてもこの日のエルヴィスの髪は動きにあわせて何時も以上にどんどん乱れていくのです。

意識的にそうしたと分かるロックンロールな演出です。

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リハーサルの写真。

諸説ありますがエルヴィスの上半身しか収めないという事はこの日の出演者とエルヴィスだけ違うステージ配置だった事をみても分かります。

このステージセット、本番は映らないのですよね。

通常はドラムセット等を置いて段差でオーケストラメンバー全てが見える様にする台の上に何故か?エルヴィスとジョーダネアーズを配置します。

段差があるので動きすぎるとステージから落ちてしまうので定位置から離れない分、カメラはアップで収め易くなります。

そもそも上半身しか映さないのだし、そこまで高くする必要があるのか?

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通常セットはこう使います。

「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のヒットで有名なビルヘイリーと彼のコメッツ。

ほぼ同じ舞台セットでしたが下に降りて歌っていますね。

 

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これは本番、歌う寸前…

まだ髪は整っています。

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そしてこうなります。

髪の動きも表情も上半身しか映されていない事で逆にアップになり皮肉にも良く分かります。

この顔つき、素晴らしいです。

 

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エド・サリバン・ショウは1時間番組で他にも出演者がいますがこの日エルヴィスは1回目、2回目ともに髪を振り乱す姿がクローズアップされます。

番組終盤この日3回目の出番、エド・サリバンはエルヴィスがこの後映画Running Wild(後にLoving Youに変更)の撮影でハリウッドへ向かい、撮影中にハンガリー難民救済の為のショーを予定しているなど説明、これから歌うのはエルヴィス自身こんな世の中にしたいというイメージの曲ということでにゴスペル曲の「Peace in the Valley」を紹介、エルヴィスもここは落ち着いた演出で髪も乱れず終わります。

歌い終わったあとエド・サリバンは「君は本当に素晴らしい」と褒め称えますが後にエルヴィス自身はラスベガスのステージで面白おかしく自虐的に当時のTV出演の話をネタにして観客を笑わせています。

 

LOT.786-08 Waist Up

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LOT.786-08 Waist Up
Price…9,200yen(No Tax)
Size…XS,S, M ,L
Color Black , White
Material…Cotton 100%

 

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アーサー・クルーダップ【That’s All Right】

2016.03.23

エルヴィスが最初に発売したシングル盤は”That’s All Right”
オリジナルはアーサー”ビッグ・ボーイ”クルーダップのブルース曲です。
アーサー・クルーダップ自身がエレキギターを弾きながら歌い、バックはスラッピンベースとドラムのみの3人編成。
ロックでいう3ピースバンドのスタイルです。
エルヴィスが彼の演奏に魅力を感じたというのは想像に難くないのですがそもそも何故このブルース曲を知っていたのか?
この曲That’s All Rightは最初に発売された1946年当時はあまりヒットしておらず、後にエルヴィスがRCA移籍後カヴァーした”So Glad You’re Mine”の方がR&Bチャートで3位まで上昇しています。

彼にとっては当時はそちらの方が代表曲でした。

 

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40年代後半それまでの78回転SP盤から新しいタイプのレコード盤が開発発表されコロンビアは33 1/3回転のLPレコード、RCAビクターは45回転を発売して競うことになります。
1949年RCAビクターは人々の目を引くカラーレコードで45回転レコードを発売、当時の広告を見るとクラシックは赤、カントリーは緑、子供向けは黄色、リズム・アンド・ブルース(Blues and Rhythmと表記)はサクランボ色。
そこでアーサー・クルーダップに白羽の矢が立つのです。
最初のCerise(サクランボ)Color盤は”That’s All Right”でした。

 

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カラー盤が発売された1949年のエルヴィスはヒュームズハイスクールへ通う14歳でおそらくラジオも色々と聴いていたのでしょう。
当時エルヴィスが住んでいた南部メンフィスはブルース専門のWDIAなどのラジオ局もありましたが、通常のラジオ局でもRCAビクターから発売されるカラー盤はジャンル問わずオンエアした可能性があり”That’s All Right”はその時に聴いたのでは?

エルヴィスは後に「目標があったとしたらアーサー・クルーダップのような存在になることだった。彼を観た時(聴いた?)にあんなふうに演りたいと思ったんだ」と答えています。

エルヴィスは彼を含めたデルタ・ブルースシンガーに敬意を称してこう呼んでいます。

「Real Low Down Mississippi Singers…」

 

 

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エルヴィスが歌うミステリートレイン「MYSTERY TRAIN」

2016.03.20

エルヴィス・プレスリーがSUN時代に発表したシングル盤は5枚。
SUNレーベルでは実験的な録音が沢山あったにも関わらず結局LP盤は発売しないで残りの曲はRCAレーベルに渡したので、SUNのプロデューサー、サム・フィリップスが考えるエルヴィス・ベストはシングルで発売した10曲と云う事になります。

なかでも海外を中心に評価の高い曲は「MYSTERY TRAIN」かと思います。
しかし、SUNで最後に発売した曲にしては歌詞、演奏内容ともに他の曲に比べてもかなりシンプル、ドラムも入っていないのは不思議です。
サムは直観力を大事にするので、1950年代に始まるマルチトラック録音より、メンバー同士のグルーブ感から偶発的に生まれる古くからの一発録りを好んでいました。

本当か分かりませんがサムによれば「MYSTERY TRAIN」は何テイクか試したが、結局エルヴィスが失敗したと思い最後の部分で笑ってしまった最初のTAKE-1が良かったので採用したと後のインタビューで語っています。
これもエルヴィスの直観力を高く評価していたからの選択だったのでしょうか。

ジョニー・キャッシュはエルヴィスのギターのリズム感を高く評価していますが、バンドを牽引して行く能力というのはリズム感はもちろんですが、ドラムを使わない録音中心の彼だからこそ通常には分からない世界観があり、当時のエルヴィスにも同じものを感じていたのかも知れません。

この曲でのエルヴィスのアコースティックギターのグルーブ感は他の曲に比べてもトップクラスです。
ギターのスコッティ・ムーアは他の曲に比べても切れのあるギャロッピン奏法で更にグルーブ感を出す様に、エコーを強めでディレイ音を内臓型アンプで設定しています。
ベースのビル・ブラックはウッドベースの弦を指版に直接叩きつけてリズム音も同時に出すスラッピン奏法、通常のピチカートで出るベース音よりスラップの方がベース音自体も大きく鳴り、パーカッションの様なスラップ音も加わるのでこの曲には最大の効果を与えます。
この二人の鉄壁リズムを牽引しているのは間違いなくエルヴィスのリズムギター。
エルヴィスのギターコードストロークはドラムの様にいきなりアクセントを付ける所があり曲全体のメリハリがそこで違ってくるのです。

発売当時のオリジナル盤を聴くと三人で演奏しているとは思えないほどの音圧、迫力があります。

 

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もともとリズム&ブルースだった「MYSTERY TRAIN」の歌詞にはホラー的要素があります。
戦前からのブルースソングには列車もの、旅物が多く存在しますが、多くは本人の内情、不安感を歌詞にする事が多く、悪魔が出てきたり何か得体の知れない物が自分の家族、彼女、財産など、何かを奪って行く内容だったりします。
当時のブルースシンガー達はそれらの曲をレコードやラジオで聞くというより、小さな酒場などで実際に見聞きした歌詞を多少意識的に変えたり、または間違えて憶えてしまいそのまま歌われて引き継がれた場合もあり、それらは1950年代になり白人シンガーにも歌われてロカビリー、ロックンロールのスタンダードとして定着した例も多々あります。

ブルースの不安感は若者の不安定な心にも響いたのでしょう…

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「長く黒い列車が俺の彼女を連れ去ってしまった…」

最初に録音したのはジュニア・パーカー、彼のバージョンは素晴らしく不気味で、ジム・ジャームッシュ映画「ミステリー・トレイン」のエンディングで効果的に使われています。
対してエルヴィス版は全く雰囲気が違います。

エルヴィスは
「俺の彼女を連れ去っていってしまった、でも二度とそうさせない…」
「でも、彼女を連れ戻す、彼女は俺の物、すべて俺のもの…」
ここの部分を自身に満ちた感じで歌っていますが、一方ジュニア・パーカーの場合は悲しく切望している印象でブルース感満点です。

エルヴィスの解釈も未来ある若者らしく素晴らしいと思いますが、歌詞の内容についてサム・フィリップスと口論になったと言う話が最近の研究で明らかになった様です。
80年代に多くのロカビリーバンドがカヴァーした「Let’s Bop」などが有名なSUNの歌手JACK EARLSはエルヴィスが「MYSTERY TRAIN」を録音した際に居合わせ、SUNスタジオから自宅へ戻りジュニア・パーカー版のレコードを届けた事を憶えていたそうです。

最初エルヴィスは15両列車「fifteen coaches long..」と歌い
サムが16両列車「sixteen coaches long」だと指摘したところからオリジナル盤をエルヴィスに聴かせる為に自宅を往復する羽目になったのです。

fifteenもsixteenも歌の響きはどちらも良い雰囲気ですが意外とエルヴィスはワザとそう歌ってみて、一度中断となり、確認後正しく16両と歌い、照れ笑いしたのがリリースされたテイク、それがサムが選んだテイクだったのかも知れませんね…

 

LOT.786-11 Train- Black

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Lot.786-11
Price…9,200yen(No Tax)
Size…XS,S, M ,L
Color Black , White
Material…Cotton 100%

 

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ワートハイマー撮影から60年、エルヴィス1956

2016.03.17

1956年3月17日はCBSテレビDorsey brothersの ‘Stage Show’に出演、そして写真家のワートハイマー氏がエルヴィスを最初に撮影した日なのでこのブログを書いている本日は、ちょうど60周年にあたります。

この写真の撮影日3/17はBlue Suede ShoesとHeartbeak Hotelを歌っていますがDメジャーコードを押さえている様に見えるので、多分Blue Suede Shoesのサブ・ドミナントコードの所「don’t you~♪」辺りでは?と勝手な推測をして楽しんでおります。
この日以降Alfred Wertheimerが撮影した一連の写真は当時のエルヴィスのイメージを決定付ける、素晴らしいカットが多いのですが3/17に関してはカラー写真が一枚も無いので、かえって我々の想像力をかき立てるのです。

まずネクタイは恐らく白いシルク、ニットではない様です。
黒のYシャツは袖がカフスで襟は台襟が付いているにもかかわらず何故か開襟になるタイプで一番上のボタンはループで留めるので右襟下に小さいボタンが付いています、生地は恐らくレーヨンかシルクが混じったものですが大きく横カスリの様な織りで独特の凹凸感があり、不思議なYシャツです。

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パンツはシルクが混じったシャークスキン?、後のコンポラにも割と良くある生地かと思います。
他の日の写真から推測するとモノトーンかも知れません。

靴はスリッポンタイプのCross Strap Shoes。
靴下はダイヤ柄
右手にダイヤモンドのEPリング。
左手はダイヤモンドのHorse Shoeリング。
時計は恐らくロ-ドエルジンまたはエルジン。

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そしてジャケットはダブルのスーツに多いピークドラペルの襟ですが前あわせは 一つボタンの拝みあわせを普通に留めている様に見えます。
色ですが恐らく赤系、エンジかと思います。

 

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4/3のサンディエゴ、USS Hancockの船上で行われたミルトンバールショウ出演時のリハーサルで同じピークドラペルを確認できます。

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カラー写真の精度は良くありませんが右の女性の赤と比べるとエルヴィスはエンジかなと思います。
当時のジャケットに割りとよくある色です。

 

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形は違いますが多分この位の色では?と思います。

3月17日の写真は魅力的な写真が多くレコードジャケット等、様々な印刷物で使用されていますが、着色カラーで我々がイメージするものを見かけないのが残念です。

 

LOT.719 Cross Strap Shoes

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ビリー・エクスタインのシャツ【Mr. B collar】

2016.03.12

 

ビリー・エクスタイン「通称ミスターB」
男性的な色気のあるバリトン・ボイスが人気の歌手であり、バンドリーダーでもあります。
彼の歌う”I Apologize”は初期のエルヴィスも歌っていたと言う説も有るほど人種を問わずヒットした曲だったりしますが、更にはファッション面でも影響力が高く、彼の代名詞でもあるシャツの襟の形状は”Mr. B collar”と呼ばれ50年代前半の若者達にも影響を与え、1954年のLIFEでも紹介されています。

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1990年代にアメリカで製作された初期のエルヴィスの伝記TVドラマのセリフでこんな会話があります。
当時エルヴィスがCOOLな洋服を買っていたランスキーブラザースのショップでのシーン。
ピンクのジャケットにピストルパンツをあわせるエルヴィス。
エルヴィス役の俳優が、バーナード・ランスキー役に向かって。
「これにはミスターBカラーをあわせたいね!」

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後にメンフィスで本物のバーナード氏に、ミスターBカラーの事をたずねると幸運にも身振りで襟を丸くロールさせるポーズを取ってくれた事がありました。
細かく聞けなかったことは今となっては悔やまれますが、形が分かったのは大収穫でした。

ヴィンテージのシャツで”Mr. B collar”を見る事はまず無いのですが書籍などによればロールしたボタンダウンシャツです。
しかし当のビリー・エクスタインの写真で形状はロールカラーでもボタンダウンと分かる解像度の写真がないのです。

 

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ただし1955年にエルヴィスが着用していたボタンダウンシャツも”Mr. B collar”という認識だったからこそ、あのTVドラマのセリフが出てきたのでしょうね。

もう少し細かく調べたいところです。

 

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Elvis the Pelvisとサイドプリーツパンツ【Side Pleats Pants】

2016.03.10

1956年6月5日NBCテレビMilton Berle Showでの楽屋風景。

この日のエルヴィスは過去のTV出演でのギターを弾きがら(バラードは除く)ロックンロールを歌うスタイルを変えてギターは持たず、マイクを駆使したステージアクション中心のHound Dogを歌います。
その事から翌日の新聞記事を筆頭にメディアから酷評を受けロックンロールは悪魔の音楽とか青少年非行化の原因はエルヴィスの歌にあるなど今で云う””炎上状態”となり以降、逆にエルヴィスが出演する事で皮肉にもテレビの視聴率が一気に上がる現象が起こります。

ちなみにこの年の1月から3月まで合計6回出演していたドーシーショウの視聴率は最後まで18~20パーセントくらいで裏番組のペリー・コモ・ショウは常に30パーセント台、エルヴィスが出演する事での変化は無かった事になります。

しかしながらファッション、パフォーマンス共に、この日の演出はいつにも増して最高でした。
ピンクと黒の切り替えシャツ、パンツはレーヨンでしょうか、横カスリが入っています。どちらも初披露でしょう。
本番ではこの上からラベンダーピンクに白のウィンドウペン柄のジャケットを着ています。

 

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しかもMilton Berle Showはこの時早くもカラー放送だったのでPink & BlackのエルヴィスがTVのブラウン管で前髪を乱し暴れる姿は白黒テレビで視聴した一般層に比べ、当時カラーテレビを所有していた富裕層は更に激怒したのでしょう!
更にこの時点ではまだHound Dogは録音していないので皆初めて聞く曲とパフォーマンスに驚く訳です。
司会のミルトンバールはエルヴィスのパフォーマンスをコメディ的な物として扱う様に努めるのですが、笑い声と絶叫の両方が飛び交う中、富裕層はエルヴィスのパフォーマンスをギャグとして許す事はありませんでした。
以降”Elvis the Pelvis”骨盤エルヴィスと云われる事になります。

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この日に履いていたパンツはサイドに縫い目があり、ヒレの様なプリーツがあるタイプ。
リトル・リチャードが映画「女はそれを我慢できない」で着用しているスーツも同タイプで、かなり太めのパンツです。
エルヴィスのはあまり太すぎないシルエットですね。

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約3ヶ月後、9月26日の屋外ライブ、先程と同じパンツを履いています。
生地が厚手の ベルベット・プルオーバーシャツをパンツインしてウエストがキツイからなのか?
体重が増えたのか?
随分ピッタリとしたシルエットです!
もしかしたらドライクリーニングしないで普通に洗濯機で洗ったのかも?
この日以降、履いている写真は見かけないですね…

 

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同年代に作られたプリーツがあるパンツです。
ダブルの裾幅5cm、裾に向かって軽いテーパードが有り当時のツータックパンツとしては太すぎないシルエットです。

 

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こちらは先のヴィンテージを基に作成した【LOT.751 Side Pleats Pants】
薄手の柔らかい生地で履くと動きのあるシルエットが出るのが特徴です。

こちらのサンプルはダブルの裾幅4.5cmにしてみました。

※製品の裾はロック始末になっております。裾上げダブルでも余裕がある様に股下100cm確保してます。

 

LOT.751 Side Pleats Pants

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LOT.751

Side Pleats Pants

Price… 18,000yen(no tax)
Size… W30, W32, W34, W36
Color… Black、Brick、BK-BR、BR-BK
Material…Tencel 65% Cotton 35%

 

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オリエンタルテイストな【Mandarin Collar Shirt】

2016.03.09

DIG magazine 1957年1月号から。
ロックンロール・カルチャーを中心とした若者向けの雑誌です。

WHO’S COOL?のコーナーでMandarin Collar Shirtが紹介されています。
【Mandarin Collar】中国風の襟、スタンドカラーを当時のアメリカではマンダリン・カラーとしてオリエンタルブームに乗り短期間ですが半袖、長袖シャツを発売しています。
これはプリントシャツで浮世絵風の絵がいくつかコラージュされています。

もしハワイアンシャツでこの柄だったらプレミア間違いないでしょうか?

 

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エルヴィスが洋服を購入していた地元メンフィス、ランスキーブラザースの広告。
ロックンロール的な言葉が散りばめられている中にMandarin Collarの紹介があります。
そして以下の3カットはおそらくランスキーブラザースでMandarin Collar Shirtを購入したと思われる方々です。

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右のデューイ・フィリップスはメンフィスで数多くのロックンロール曲を紹介してきたラジオDJです。

エルヴィスのThat’s All Rightを発売前にサンプル盤から、初めてラジオで流し大反響があった伝説のDJとしても知られています。
中国風の刺繍らしい柄にフロント切り替えし、かなりクセのあるデザインです。

 

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エルヴィスの付き人で従兄弟のジュニア・スミスはナッソーとの組み合わせ、恐らくCarmel。
襟部分にオリエンタルテイストなプリントがある様に見えます。

 

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そしてエルヴィス。
襟部分に太めのリボンを通してアクセントを付けているモデル。

ブランドは恐らくCali Craft
袖部分にもあるはずですがロールして隠れていますね。
どれも東洋的なモチーフが入っていますが、どんな感覚で当時の若者達が着用したのか?
不思議に思います。
Mandarin Collar Shirtは当時の写真で見る限り1956~1957年のほんの2年間くらいしか見かけません。
シアーズカタログの様な一般的なカタログには掲載されていないのですが、ほんの一瞬ではあるけど流行ったアイテムなのでしょうね。

 

LOT.726 Mandarin Collar Shirt

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LOT.726
MANDARIN COLLAR SHIRT
Size…36,38,40
Color…WHITE, BLACK, PINK

 

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ブルー・スエード・シューズ

2016.02.29

“COUNTRY SONG ROUNDUP”1956年8月号

エルヴィスとカール・パーキンスが表紙を飾っています。
カントリーソングの雑誌ですがエルヴィスの「Heartbreak Hotel」カールの「Blue Suede Shoes」
ともにビルボード誌のポップス、カントリー、リズム&ブルース3部門で大ヒットしているのでカントリー誌でも大々的に取り上げられました。
まだ、ビルボード・ヒットチャートにロック部門が無かった時代特有の面白い現象です。

1950年代のロックンロールの歌詞の内容といえば今夜は大騒ぎしよう!とか、俺の彼女は最高…、または彼女が居なくなり淋しい…等の歌詞が多いのですが、それらは古くからのブルースやカントリーにもよく見られる内容でした。

そんな状況のなか「ブルー・スエード・シューズ」が1956年になり全米チャートを昇っていきます。

「なにをやっても構わないけど俺のブルースエードシューズだけは踏むな!」

自分本位で反抗的な内容はその後のロックンロールの歌詞の方向性にも影響を与えていきます。

全米ヒットした最初のロックンロールといえば、ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が有名ですが、意外にもロックという単語が歌詞に無い「ブルー・スエード・シューズ」の方が総合的にみてロックの基盤を作った意味では重要な気もします。

 

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しかし皮肉にもこの曲はエルヴィスがライブステージで多く歌っていた事から一般にはエルヴィスの代表曲と思われています。

そこには本家カール版をヒットさせる為に、カヴァーレコーディングをエルヴィスにアドバイスして、結果どちらがヒットしても印税が入る事になるサンレコード社長サム・フィリップスの思惑も垣間見えますが、エルヴィスのお気に入りだった曲であるのは間違いないでしょう。

1956年1月にカールの「ブルー・スエード・シューズ」が発売されますが、エルヴィスは2/11の全米TV「CBS ‘Stage Show’」ドーシーショウで「ブルー・スエード・シューズ」を歌います。
この時点ではエルヴィス自身はまだレコードでは発表していないのにカールより先にテレビで歌ってしまうのです。

エルヴィスはドーシーショウで合計6回の出演契約を結びますが、更に5回目の3/17でも歌っていて、この頃には、カールも遅れながらも人気番組ペリー・コモ・ショウでの3/24TV出演契約を果します。

しかしそれはエルヴィスが出演するドーシーショウと同じ時間帯、裏番組にあたります。

その為エルヴィスは「ブルー・スエード・シューズ」の替わりに「マニー・ハニー」を歌うことにしますが、不幸にも3/22の夜明け前にカールのバンドは移動中に交通事故に遭い出演出来なくなります。
エルヴィスのバックバンドは出演前日に彼らを見舞いに訪れているので、エルヴィスもこの事は知っていますが、カールが歌う予定だった「ブルー・スエード・シューズ」は歌わないで結局「マニー・ハニー」を選択します。

 

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その後、エルヴィスは4/3に「ABC’The Milton Berle Show’ 」ミルトンバール・ショウで「ブルー・スエード・シューズ」を歌いますがジャクソンで療養中のカールもTVでその姿を見たと云われてます。

本当だとしたらそれも皮肉な話です。

 

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4/21にはライブ復帰を果したカールは5/26に念願のペリー・コモ・ショウで「ブルー・スエード・シューズ」を歌いますが、丁度その頃には100万枚ミリオンセラーヒットにまで到達しています。

当時のカール・パーキンスが最も輝いていたのはこの時だったのかも知れません。

 

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満を持してのカールTV出演からほぼ1週間後、6/1にエルヴィスは休日にも関わらず、カールなどのサン・レコード歌手が出演するメンフィスのOverton Park Shellのイベントに現れます。
これはその時に撮られた写真でおそらく復帰後初の再会…

後年カールはエルヴィスに冗談半分で「俺のブルー・スエード・シューズを踏むなんてひどいじゃないか」と言ったという話をしている様ですが、そんな会話が有ったとしたら恐らくこの時では?

 

Lot.737 Blue Bucks Shoes

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起毛したレザーの中でも特に美しいヴィジュアルを持つスーパーバックスを使用。
履きこむ事で経年変化が楽しめ、1950年代のヴィンテージシューズと見分けが付かない雰囲気を醸し出すでしょう。

 

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クロスストラップシューズ【Cross Strap Shoes】

2016.02.27

靴ひもを結ぶ必要のない靴、いわゆるスリッポンシューズは1950年代あたりからタッセルローファーやコインローファーがアメリカ東海岸で学生からビジネスマンにも定着した影響でそこから派生したと思われる面白いデザインのスリッポンシューズが50年代半ばには多く登場します。

これはその中のひとつ、”Cross Strap Shoes”
アメリカ全土に知れ渡るシアーズ通販カタログでも短い期間しか掲載されていないユニークなデザインです。

当時のマイナーブランドを含めた場合、実際にはこれらのスリッポンシューズが多種存在し、消えていったと想像できます。

 

 

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”Cross Strap Shoes”を履くエルヴィス

1956年のエルヴィス・プレスリーからも多くのスリッポン・シューズを履いている写真が確認出来ますが恐らくライブでの着替えを楽にする事からも、靴紐をいちいち外さないで済むスリッポンシューズが最も重宝されたのではないかと思われます。
それというのもエルヴィスがライブ中にスリッポン・シューズを多く履いている期間が1956年の前半に集中する事からも推測出来ます。
1956年に入りRCAレコードから初の全米ヒット第一位に輝いた「Heartbreak Hotel」によってそれまで沢山のカントリーシンガー達と一緒に巡業に回り、良くて1日ワンステージで数曲歌うのが普通だった仕事が劇的に増えます。
昨年までのジョニー・キャッシュやワンダ・ジャクソン、ビル・ヘイリー、バディ・ホリーなど他のシンガー達と混じり歌うイベント等のステージでは人気とギャラの面からも不都合となり、エルヴィスは単独でライブを行う事になります。
大体の場合前座に手品、漫才などのボードビルショウがあり、その後に30分くらいのエルヴィスのショウがありますが、それは大体1日2回から4回ほど行います。

現在のロックアーティストは一回のライブで2時間弱が普通ですが、30分を入れ替わりで4回は舞台演劇に近い形態、今とは違いますね。
1956年のエルヴィスは激しいステージアクションが売りですから、当然汗だくになり毎回シャツなど着替えが沢山必要になります。

その度に靴を脱ぐわけですから断然スリッポン・シューズの方が好都合だったのでしょう。

 

LOT.719 Cross Strap Shoes

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アッパーにはベビーカーフを使用し、レザーソールの仕上げにまでも一切の妥協を許さず製作。
特に欧米ならではの力強く丸みのあるカウンターの再現を追求した事により、デザインと履いた時のフィット感を完璧なものにしました。
グッドイヤーウェルト製法にてトップクラスのドレスシューズとしてリリース。

ホワイトステッチも目立ち過ぎず、当時のイメージを大切にした上品な仕上がりです。

 

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エルヴィスでしか見かけないボタンダウンシャツ

2016.02.18

エルヴィス・プレスリーは1954年の夏、地元メンフィスにある、R&B等のブラック・ミュージックを中心とした録音やカントリーのシングル盤などをリリースしていたサン・レコードからデビューします。
サンの社長、サム・フィリップスはエルヴィスの声を聴き、それまでの音楽には無い可能性を導き出して新しいタイプの音楽を創造していきます。
それらはロックンロールとか後にロカビリーなどと分類されてこのレーベルの代名詞と成って行きますがサム・フィリップスがエルヴィスに可能性を見出した原因には声は勿論、実はルックスも有ったと思います。
サンに在籍していた1954-55年のエルヴィスは奇抜なアイテムが混じったファッションが多々見受けられ自身が展開する新しい音楽に合わせファッションも色々と取り入れて行く前向きな姿勢が見受けられます。
そんな時代のアイテムは現代のヴィンテージ市場でもあまり出てくる事の無いものが多いのですが、今回注目したのは1955年1月から7月あたりまで愛用したと見られるボタンダウンシャツです。
ボタンダウンといっても通常のものとは違い襟の裏側からボタンを留める変則タイプです。
このタイプは50sのSPORTOPなどのブランドで存在は確認されていますが着用しているのが判る写真となるとエルヴィスくらいで1950年代のファッションとしては一般に認識されていない形です。

 

新しいタイプの音楽とファッション

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襟部分にダブル・ステッチ、襟の裏側は黒い生地です。
このパターンはむしろ最近のYシャツに見受けられ、結果的には半世紀以上時代を先取りしていたとも云えます。
ネクタイを締めていますが。襟芯なども無く生地は柔らかめなのかロールして膨らんだ襟がややシワになって潰れています。
ネクタイを締めるためのシャツなのかいまひとつ判断しかねる不思議な作りです。

 

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1955年2月19日のルイジアナ・ヘイライド出演時。
主にラジオショウを中心としていた、カントリーミュージックのイベントで沢山のカントリーシンガーが歌うなか、司会者はエルヴィスを新しいスタイルのシンガーとして紹介し、数曲歌います。
ですからエルヴィスのファッションは競演する他のカントリーシンガー達と違う路線を選ぶ必要があり、意識的に避けているアイテムも出てきます。
当時のバックバンド、スコッティ・ムーアとビル・ブラックも初期は刺繍入りのウエスタン・シャツでネクタイ姿のエルヴィスに混じりバンド写真を撮っていますが、1955年になると実際のライブ写真ではYシャツにネクタイといったスタイルしか残されていないのでエルヴィスのイメージが特定の音楽ジャンルで固定されないことを考えての選択だったのでしょう。

 

LOT.780  Roll Collar BD Shirt

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50sポケットコーム

2016.02.15

髪型を整える為に使うコームには携帯用として使われるポケットコームと呼ばれるものがあります。
良く見られるのが革ケースに入ってスーツの内ポケットに収められる持ち手が付いたタイプ、または持ち手部分から半分に折りたたんでコーム部分が収納されるものがありますがファッション的には画像にある持ち手が付いていないタイプに惹かれます。
ここにあるのは1950~60年代のデッドストックです。
当時はレジの横に置いたりして販売していたのでしょう。
水性ポマードが無く、油性ポマード、リキッド類で整髪していた当時は外出先でもコームで髪を整える作業は今より多かったのでこの手の携帯用コームは手軽で、良く売れたのではないかと思います。
色も沢山あってファッション性も重視されています。

 

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自宅でセットするなら持ち手があるタイプが楽ですがファッションとしてはこの手のものがポケットに入っている方が見た目にコームだと判り面白いですね。
この手のポケットコームはデニムパンツのポケットに入れて少し出したりするのも良いのですが壊れやすいのです。
胸ポケットは落ちやすいのでピン付コームがオススメですが最近は持ち手の無いAce Combタイプはどこも作らなくなってしまい今や50sコームのレア品として認識される傾向がありますね。
曲げても折れない柔らか目のUNBREAKBLEタイプもありますがピン付はHARD RUBERタイプがほとんどです。

 

 

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1955年SUNレコード時代のエルヴィス、肌が透けて見えるレースシャツにピン付ポケットコーム、透けシャツなのでコーム全体も見えています。
コームを巧く利用して奇抜なファッションを更に魅力的にしていますね!

 

 

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1956年になると全国的に有名になりますがここでもピン付ポケットコームとボールペンのピンがYシャツの胸ポケットから見えます。
どこでもサインを求められるので胸ポケットにボールペンはファッションと言うより必需品だった様です。

 

カテゴリー: Coordinate,Elvis Presley

カーコート?スポーツコート?ジャケット?

2016.02.14

1950年代後半にかけてロックアーティストの写真で良く見かけるイタリアンカラーのコートです。
素材には太目の畝が特徴のヴィンテージ加工を施したコーデュロイを使用し前身項の切り替えを利用した4つのスラッシュポケットや、レザーくるみボタン等、細部まで拘り抜いた一着です。

 

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1950年代当時のSUNSET HOUSEのコート、当時は様々なカラーが存在したらしくこのキャメルの他にも濃い目のキャメルや、赤、緑、黒など確認されています。
デュアン・エディ、エルヴィス、エディ・コクラン、アリス・レスリー、ジーン・ヴィンセント出演映画「Hot Rod Gang 」の劇中等、色々と見つけられると思います。

 

 

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ポートレート写真のエディ・コクラン、ショールカラーのセーターに合わせてます。
ここで着用しているショールカラーセーターはバディ・ホリーと一緒に同じものを購入した事が最近知られる様になりました。
軽いジャケット感覚で羽織り、ポーズを決めています。
実際エディはこのコートを着用してグレッチ6120を弾いてライブを行っていた写真も残されていますし、デュアン・エディは白のコートで撮影してレコードジャケットでも使っています。
グレッチ使用ギタリスト好みのデザインだったのでしょうか?

 

 

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1958年映画「闇に響く声/King Creole」でのエルヴィス・プレスリー
ここではネクタイを締めています。
これもコートというより軽いジャケット感覚で着用している様にみえます。

 

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リトル・リチャードとエディ・コクランに挟まれた中央のアリス・レスリー、前あわせが逆になっていて当時レディースが存在した事が判り、実際まれに今でもヴィンテージ市場でも見かけます。

これらの写真の着こなしからみてもコートとはいっても冬物アウターとしてのコートでは無くて今で云うジャケット、ブルゾン感覚なのでしょう。
実際アメリカの1950年代当時の広告でもSports Coatと記載されているものとSport Jacketとの違いはなくてCoatとJacketとは基本的に上着という認識で同じ扱いなのです。
これら一連の写真の着こなしを見ても冬物のオーバーコートとして着用してはいないですね。

なので季節を問わずに上手く着こなして頂きたいアイテムです。

 

 

LOT.746 Danny Coat

 

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