ブルー・スエード・シューズ
2016.02.29
“COUNTRY SONG ROUNDUP”1956年8月号
エルヴィスとカール・パーキンスが表紙を飾っています。
カントリーソングの雑誌ですがエルヴィスの「Heartbreak Hotel」カールの「Blue Suede Shoes」
ともにビルボード誌のポップス、カントリー、リズム&ブルース3部門で大ヒットしているのでカントリー誌でも大々的に取り上げられました。
まだ、ビルボード・ヒットチャートにロック部門が無かった時代特有の面白い現象です。
1950年代のロックンロールの歌詞の内容といえば今夜は大騒ぎしよう!とか、俺の彼女は最高…、または彼女が居なくなり淋しい…等の歌詞が多いのですが、それらは古くからのブルースやカントリーにもよく見られる内容でした。
そんな状況のなか「ブルー・スエード・シューズ」が1956年になり全米チャートを昇っていきます。
「なにをやっても構わないけど俺のブルースエードシューズだけは踏むな!」
自分本位で反抗的な内容はその後のロックンロールの歌詞の方向性にも影響を与えていきます。
全米ヒットした最初のロックンロールといえば、ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が有名ですが、意外にもロックという単語が歌詞に無い「ブルー・スエード・シューズ」の方が総合的にみてロックの基盤を作った意味では重要な気もします。
しかし皮肉にもこの曲はエルヴィスがライブステージで多く歌っていた事から一般にはエルヴィスの代表曲と思われています。
そこには本家カール版をヒットさせる為に、カヴァーレコーディングをエルヴィスにアドバイスして、結果どちらがヒットしても印税が入る事になるサンレコード社長サム・フィリップスの思惑も垣間見えますが、エルヴィスのお気に入りだった曲であるのは間違いないでしょう。
1956年1月にカールの「ブルー・スエード・シューズ」が発売されますが、エルヴィスは2/11の全米TV「CBS ‘Stage Show’」ドーシーショウで「ブルー・スエード・シューズ」を歌います。
この時点ではエルヴィス自身はまだレコードでは発表していないのにカールより先にテレビで歌ってしまうのです。
エルヴィスはドーシーショウで合計6回の出演契約を結びますが、更に5回目の3/17でも歌っていて、この頃には、カールも遅れながらも人気番組ペリー・コモ・ショウでの3/24TV出演契約を果します。
しかしそれはエルヴィスが出演するドーシーショウと同じ時間帯、裏番組にあたります。
その為エルヴィスは「ブルー・スエード・シューズ」の替わりに「マニー・ハニー」を歌うことにしますが、不幸にも3/22の夜明け前にカールのバンドは移動中に交通事故に遭い出演出来なくなります。
エルヴィスのバックバンドは出演前日に彼らを見舞いに訪れているので、エルヴィスもこの事は知っていますが、カールが歌う予定だった「ブルー・スエード・シューズ」は歌わないで結局「マニー・ハニー」を選択します。
その後、エルヴィスは4/3に「ABC’The Milton Berle Show’ 」ミルトンバール・ショウで「ブルー・スエード・シューズ」を歌いますがジャクソンで療養中のカールもTVでその姿を見たと云われてます。
本当だとしたらそれも皮肉な話です。
4/21にはライブ復帰を果したカールは5/26に念願のペリー・コモ・ショウで「ブルー・スエード・シューズ」を歌いますが、丁度その頃には100万枚ミリオンセラーヒットにまで到達しています。
当時のカール・パーキンスが最も輝いていたのはこの時だったのかも知れません。
満を持してのカールTV出演からほぼ1週間後、6/1にエルヴィスは休日にも関わらず、カールなどのサン・レコード歌手が出演するメンフィスのOverton Park Shellのイベントに現れます。
これはその時に撮られた写真でおそらく復帰後初の再会…
後年カールはエルヴィスに冗談半分で「俺のブルー・スエード・シューズを踏むなんてひどいじゃないか」と言ったという話をしている様ですが、そんな会話が有ったとしたら恐らくこの時では?
Lot.737 Blue Bucks Shoes
起毛したレザーの中でも特に美しいヴィジュアルを持つスーパーバックスを使用。
履きこむ事で経年変化が楽しめ、1950年代のヴィンテージシューズと見分けが付かない雰囲気を醸し出すでしょう。
カテゴリー: Elvis Presley,Music